vol.39 『セントラルパーク』水谷 充

TSUBAKI HOUSE、Q&B、カンタベリーハウス。ディスコ全盛時代、主に新宿で遊んでいた高校生にとって原宿は、どちらかと言えば敷居が高い。文化的匂いやお洒落な雰囲気に気おされる感じがあった。そんな僕が、原宿を意識するようになったのは、セントラルアパートの存在だった。

時、付き合っていた彼女の家が製版関連の会社で、工場にはいろんな企業のポスターが貼られていた。あるとき、なんだかの賞を取ったんだよ~と教えられたパルコのポスターが衝撃的だった。民族衣装を纏った黒人女性が赤ちゃんを抱いていて「わが心のスーパースター」という文字が添えられていた。なんだかソワソワと落ち着かない。趣味でカメラをいじっていた僕は、写真って仕事になるんだということを知った。漠然とだけど、こういった関係の仕事をすると決めた瞬間だった。
仕事としての広告や写真というものを調べはじめ、コマーシャル・フォトという業界誌や流行通信という雑誌を見つける。僕にとっては夢の向かう先。すっかり愛読書になり、中に出てくる人の名前を片っ端から紙に書き出したりしてた。
そんな折、とあるコラムでセントラルアパートというクリエイターが多く集まる場所が原宿にあるらしいことを知る。

宿は、ラフォーレがオープンしたばかりで、かなり話題になっていた。お目当てのセントラルアパートは、ラフォーレの向かい。交差点の角にある頑丈そうな建物。玄関先にあるポストに雑誌で知った名前を見つけると、なんだか夢の入口に辿り着いたような気がした。
たとえばカメラマン浅井慎平さんや操上和美さん。安斉吉三郎(ステレオサウンド誌の表紙を撮っていた物撮りの凄い人)さんや鋤田正義さん。コピーライターの糸井重里さんもここに事務所を構えていた。ただし高校生の僕が入り込めるのは、せいぜい建物の商業施設。いつしか1Fの輸入レコード屋や中庭のオープンカフェ「セントラルパーク」がお気に入りの、いわゆる行きつけの店になった。もっともコーヒーを飲みながら備え付けのインベーダーゲーム、いやギャラクシアンだったかに夢中で挑む一般人にすぎなかったのだけど…。

校を卒業して写真学校に進む。半年ほど通って、もう仕事がしたくてたまらない僕は、卒業生で売り出し中のカメラマン岡野隆一さんの助手を務めるようになる。当時、岡野さんは、MCシスターやメンズクラブなどのファッション誌を中心に活動していた。サーフ・マガジン誌などでも時々撮っていた。ある日、編集部についていくと、そこはなんとセントラルアパート。サーフマガジンの編集をしていた西海岸アドバタイジングは、セントラルアパートにあったのだ。「セントラルパーク」の常連になって1年ほどで憧れの住居エリアに入れるようになった。また一歩夢に近づく。岡野さんも、1Fのレコード屋によく立ち寄り、最新のLPを数枚買って帰る。いろんな音楽を教えてもらったなぁ~ ラリー・カールトンのルーム335は、この頃。クルセイダーズ、スタッフ、トム・スコット。乾いたサウンドは、夢に近づいているウキウキした気分にとってもフィットしていた。

18歳から20歳を越えるあたり。縁もゆかりもないクリエイティブな世界に憧れていた普通の高校生が、その気になって夢を追う。きっかけは間違いなくセントラルアパートの中庭にあったカフェの存在だ。時々真上に広がる空を見上げては、すべてが上手くいくようなワクワクした気分に浸っていた。好きなものの近くにいることは、現実化させるためにはとても有効な手段。今でも、セントラルアパートのあった場所を通りかかると、なぜここを残せなかったのかと腹が立つ。

机の上のお勉強ではない、肌で実感する空気。場所の持つオーラは、手探りで夢を引き寄せようとする者にとって、とても大事ものだ。文化的な蓄積の意味。商業的視点でしか場所というものをとらえられない日本という国。なんだか少し残念な気がする。もっとも今の若い世代にも、それなりに聖地のような場所があるはずだ。きっとそうだと信じたい。


文中に出てくる仕事を志すきっかけになったパルコのポスター
1978年 PARCO
AD 石岡瑛子/写真 藤原新也/コピー 長沢岳夫/デザイン 成瀬始子、乾 京子


当時のセントラルパーク 出典 http://bashamichi.way-nifty.com/

セントラルパークに続く廊下の写真(撮影:達川清

高橋靖子さんの書籍『表参道のヤッコさん』から
(こぐれひでこさんのイラスト)
飲食スペースの部分が「セントラルパーク」です。


1980年頃の筆者

筆者 プロフィール

水谷 充 みずたに みつる(写真・映像制作者)

1959年 東京北区生まれ
高校卒業後、スタジオ助手を経て岡野隆一氏
篠原邦博氏師事
1985 年とんねるず1st アルバム「なります」のジャケット撮影からフリーランスのカメラマンとして活動をはじめる。主に広告写真や女性誌、ファッション誌、レコードジャケットなどを中心に活動する。とくに尾崎亜美のPOINT-2(1986年)~Dinner’s Lady(1988年)までの5作や南こうせつの夢の時間(1993年)フォークソング(1993年)など、高校時代に憧れだったアーティストのアルバム撮影を手がけられたことが自慢。
1992 年月刊プレイボーイのピクトリアル・イン・ジャパンにて女優・相楽晴子の撮り下ろしに抜擢。それをきっかけに男性誌グラビアへと活動領域を広げる。また、独立当初から写真と平行して、CM や企業PR など映像の分野にも精力的に取り組んでいる。

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