vol.50『ラフォーレ原宿』荒川 信雄

父が、都立霞ヶ丘団地で精肉店を構えていた。
1974年ごろから、千駄ヶ谷の叔父の家に遊びに行っては、神宮球場でのヤクルト戦が、田舎育ちの小生にとっては最高の時間だった。
小学生時代の夏は、海外旅行みたいな出来事だったと思う。
中学生になると、原宿に行くことが地元の友達への自慢話であり、タケノコ族に扮した友人もいたせいか、少しずつファッションに関心を持つようになった。
当時のラフォーレ原宿は、女性が行くところ。と勝手に決めつけていたので、お年玉を握っては、原宿のHARADAに行き、都会の風を纏った気分になっていたことを今でも記憶している。

大学生の頃は、精肉店の取引先である飲食店への配達を手伝っていたこともあり、原宿、千駄ヶ谷エリアの皆様に大変お世話になっていた。
だから、街の皆様との出会いと想い出が積み重なっていた。

んな70年代の最後にラフォーレ原宿が誕生した。
1978年10月28日。
80年代ファッションの成熟期に向け、チャレンジを重ねてきたファッションビルである。
円柱の建物が重なり合ったビルは、個性的かつ街にも溶け込んでいると思う。
移りゆく原宿の中で、ラフォーレ原宿は40周年を迎えることができた。
原宿は、ファッションの聖地とも言える。
常に時代と向き合いながら、いつも新たなカルチャーが産まれている。

の写真は、太田記念美術館様側のエントランス『源氏山テラス』。
以前「CAFE de F.O.B」があった場所で、雰囲気はとても素晴らしかった。
カフェスペースは、老朽化で手を加えなければならなかったものの、別の意味で、根本的な見直しが必要であった。

ラフォーレ原宿は、SDA 東京中央教会様に、ご縁をいただいた土地である。
志ある人達が、節度をもって『商い』をしなければならないエリアである。

だから、このエントランスの役割も、原点に戻る必要があった。
街の歴史を踏まえて、この地の磁力をきちんと伝える必要を感じていた。
かつて、明治神宮の清正の井戸から溢れ出す湧水が、今のブラームスの小径に流れていたと、言われている。

明治神宮の参道を入り、本殿に向かう途中の曲がり角は「桝形」と呼ばれ、その角度は末広がりの88度。
源氏山テラスの顔である店舗『GR8』の坪数は、88坪。
『8』を横にすれば無限大『∞』。 

表参道は、光参道。
夏至の日の正午に太陽が真上にくるように設計されている。
明るい日差しが街を包み、日没は表参道から、明治神宮への延長線上に沈む。

表参道は、緑参道。
欅に守られたストリートは、訪れる皆様を温かく包みこむ。

2020年11月。明治神宮鎮座100年大祭を迎える。
この街に育ててもらったことに感謝するとともに、街の皆様と、次の100年に向けて発信を続けていきたい。
原宿表参道は、無限の可能性と、永遠の輝きに満ち溢れている。


セブンスデー・アドベンチスト(SDA)東京中央教会所蔵

ラフォーレ原宿 外観(1978年開業当時)

筆者 プロフィール

荒川 信雄 ㈱ラフォーレ原宿 代表取締役社長

茨城県笠間市(旧岩間町)出身
1964年生まれ。1987年森ビル㈱に入社し、1989年ラフォーレ原宿へ。
1999年ヴィーナスフォート、2006年表参道ヒルズのプロジェクト責任者を担当し、
2014年より現職。2017年より、森ビル㈱執行役員を兼務。
趣味は食べ歩きとサッカー。シニア50東京代表として、東アジア大会に出場。

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