「建物」の記事一覧

vol.50『ラフォーレ原宿』荒川 信雄

叔父が、都立霞ヶ丘団地で精肉店を構えていた。 1974年ごろから、千駄ヶ谷の叔父の家に遊びに行っては、神宮球場でのヤクルト戦が、田舎育ちの小生にとっては最高の時間だった。 小学生時代の夏は、海外旅行みたいな出来事だったと・・・

vol.49『原宿セントラルアパート671号室』石川武志

私には原宿という町は特別な町である。1970年代当時、私は神宮前二丁目に住んでいたのだが、写真学校が御茶ノ水にあり、千駄ヶ谷駅も使えるし原宿でも遊べるという単純な理由だった。その時、後に原宿に住んでいた事が大きく私の運命・・・

vol.48『セントラルアパート567、568号室 クリスタジオ』熊谷 正

1974年夏のある日。 セントラルアパート1階にある喫茶店レオンにて、写真学校の同級生数人と待ち合わせをしていた。 上の階には著名なクリエイターや写真家の事務所があるので、このレオンには、憧れの人たちがたむろしている。同・・・

vol.47『オリンピアアネックス』糟谷 銑司

1972年の頃。東中神の米軍ハウスに大野と一緒に住んでいた(※大野真澄。1971年デビューのバンド「ガロ」のメンバー。通称・ボーカル。筆者とは小中一緒で、中学時代からの親友)。 このハウスの前の住民は黒人兵のマイケルで俺・・・

vol.45 『セントラルパークとブライアン・フェリー』
薙野 たかひろ

多摩美の4年間で1度だけ、原宿に行ったことがある。2年の時だったと思う。アートに詳しい先輩と、原宿駅で降りて歩道橋を渡って渋谷に歩いて向かった。当時、原宿寄りの渋谷にあった前衛パフォーマンス集団「ゼロ次元」に、16mmフ・・・

vol.39 『セントラルパーク』水谷 充

TSUBAKI HOUSE、Q&B、カンタベリーハウス。ディスコ全盛時代、主に新宿で遊んでいた高校生にとって原宿は、どちらかと言えば敷居が高い。文化的匂いやお洒落な雰囲気に気おされる感じがあった。そんな僕が、原・・・

vol.38 『セントラルアパートに吹いていた西海岸の風』
白谷敏夫

僕が原宿のデザイン事務所に入った1973年は、マイケルジャクソンの “BEN” やポールサイモンの ”Kodachrome” がチャート入りし雑誌 ”宝島” が創刊された時代だった。  美大の卒業・・・

vol.35 『セントラルアパート470号室 HALLO HALO』達川清

瀬戸内の今治から上京して一週間で母の死の知らせが届いた。今生の別れにと、出がけに骨ばった膝枕で私の薄い髭を剃ってくれた。 暗い雨の中、初めて原宿に行き広い表参道を歩いた。オリエンタルバザーで番傘とランプシェード(イサムノ・・・

vol.34 『LPレコードの中のセントラルアパート』井上伸夫

東京都渋谷区神宮前4-3-15 セントラルアパート219号  1972年ごろ、山形の中学生にとって、そこは特別な場所だった。好きなミュージシャン達のレコードジャケットの片隅に小さく記してあるその部屋には、URCレコードの・・・

vol.31 『セントラルアパート702号室』野上眞宏

1971年の3月中旬、ぼくは、有名写真家で映像の刺客といわれていた鋤田正義氏に面接に行った。自分のポートフォリオを持って指定された原宿セントラルアパート1階のレオンに行った。地下鉄が開通する前の原宿は人影も少なく、のどか・・・

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