vol.41 『シネマクラブ』中村のん

70年代後半、レオンが原宿の昼の社交場なら、「シネマクラブ」は若きクリエーターたちの夜の社交場だったが、意外にもシネマクラブのことは語り継がれていない気がする。そう言う私も23歳で結婚したとき、結婚披露パーティをここでやったにも関わらず、この店のことは長らく忘れていた。結局、離婚しちゃったから、結婚式や結婚パーティを懐かしむ心境になることもなく、むしろ無意識のうちに記憶の彼方に追いやっていたのかもしれないけれど。

んな私が「シネマクラブ」を思い出したきっかけは、2011年だったか12年だったか、「カメラマンの中道さんの個展に行って話してたら、のんちゃんの結婚パーティのプリントを持ってて、渡したいから連絡をつけて欲しいと言われたんだけど」と言う友人から連絡をもらったところからだった。カメラマンの中道さん?私の結婚パーティの写真を持ってる?何のことやらよくわからなかったが、記憶になかった中道さんを訪ねて行って思い出した。

結婚したのは23歳。70年代最後の年だった。当時、女の子たちに人気だったティーン向けの雑誌『GALs LIFE』、この雑誌のグラビアで結婚パーティの取材をされたことを思い出した。そのときのカメラマンが中道順詩さんだったのだ。この取材が一回きりのご縁だった中道さんと再会してプリントを数枚いただいた。通常、取材として撮られた写真は編集部保管となり、被写体の手元にくるのは掲載誌のみなので、30年以上経って手渡された六つ切りのプリントは有難い以上に奇跡の出来事のように思えた。

の数年後、2015年の暮れ、納戸で探し物をしていた娘が「こんなのがあったよ」とA4サイズの分厚い封筒を私の部屋に持ってきた。開けてびっくり!結婚パーティのときの写真が、何十枚も入っていた。明らかに中道さんに撮っていただいたものだ。取材後すぐに紙焼きしてお送りくださったのだろうか?そのとき私はちゃんとお礼の連絡をしていたのかしら?どうして何十年もしまいっぱなしにしていたのか?まったく思い出せなかった。
ともかくこの写真が1979年11月23日に撮影されたものであることはたしかだ。昼間、東京大神宮で挙式して親戚を交えた披露宴をしたあと、原宿のシネマクラブで親しい仲間たちが集まってお祝いをしてくれた。

ネマクラブは原宿のおしゃれピープルたちが集まる人気スポットとして、当時はとても有名な店だった。何年にオープンして何年になくなったのか覚えていないが、私が通っていたのは70年後半だった。
70年代と一口で言っても、前半と後半ではその景色はかなり違っていた。60年代後半にフラワーチルドレンたちが世界的ムーブメントを起こしたヒッピーカルチャーを引き継いだ70年代前半の匂いだったが、80年代を目前に控えた時代は、音楽的にもテクノやパンクが流行り、もっとポップでファッショナブルな匂いになっていた。とくに原宿は。

シネマクラブに初めて入ったときの感動を今も覚えている。黒白市松のアールデコを彷彿とさせるPタイルの床。大きなヤシの木と藤家具のコロニアル風なインテリア。キッチュなネオン。そして「シネマクラブ」というシャレたネーミングにもヤラレた。カクテルが似合う、エキゾチックな大人の場所に足を踏み入れた気分になった。
そんな私が23歳の人妻となる日に選んだシネマクラブ。

真を見ると思い出す。当時はまだ人気カメラマンとしてブレイクする前だった伊島薫さんが司会と手品をやってくれたこと。ゴローズの仲間たちと参加してくださったゴローさんはお祝いにイエローイーグルの付いた結婚指輪をプレゼントしてくださった(元夫はこの当時、ゴローズに勤務していた)。そういえば、セントラルアパートの一階にあった小松フォトの小松のおじさんも来てくれたんだったけ。クリームソーダのヤマちゃんも来てくれたけど、写真が残っていないのは残念だ。
ゴローさん、小松のおじさん、ヤマちゃん、今はみんな天国にいっちゃったけど、思えば、原宿のレジェンドたちがお祝いに駆けつけてくれた光栄なパーティだった。

私がこのとき着たドレスは、いつも撮影用の衣装制作をお願いしていた松村和美さんに作っていただいた。サテンの身頃にパステルカラーのチュールを重ねたスカート、マラボ―の提灯袖のドレス、羽のカチューシャ。コンセプトは「石野真子のステージ衣装」だった(笑)。パーティがお開きになってから、仲間たちと六本木のスクエアビルのディスコに繰り出した。六本木の交差点で、このドレスを着た私に外国人たちが笑顔でブラボーな感じのサインを送ってくれた。

真の力は凄い!と改めて思う。記憶の彼方に追いやっていた過去の匂いが、その日の思いが、暗室の中で絵が浮かび上がってくるように、頭の中に、心に、まざまざと蘇ってくる。中道さんの写真がなければ思い出すこともなかったであろう貴重なシーンの数々。この場を借りて中道順詩さんに心から感謝いたします。

1979年 原宿シネマクラブにて

ゴローさんとニッキーさん。

中央にいるのは師匠ヤッコさん(高橋靖子さん)。

コンクリートの打ちっぱなしの天井も、ホーロー製の照明の傘も、ミラーボールも、市松のPタイルも、ネオンも、おしゃれで新鮮なインテリアのアイテムだった

伊島薫さん。


原宿の人たちから「コマツのおとうさん」と慕われていたセントラルアパート一階にあった「小松フォト」のご主人。隣にいる私よりひとつ年下のアシスタントだったコマちゃんは、衣装やさんから借りてきた海軍の制服を着用。

パーティが終わったあとのシネマクラブ。


「GALs LIFE」の取材

「GALs LIFE」では、駆け出しのスタイリストとしての取材も受けた。
フリーになってすぐ事務所をシェアしていたメンバーは、後にスーパーエディターとしてブレイクした秋山道夫さん、カメラマンの伊島薫さんと林真理子さん。
居酒屋で一緒にいるところを撮られた林真理子さんは、当時はまだ駆け出しのコピーライターだったので、写真のキャプションで「仕事で知り合ったコピーライター」と書かれただけだったが、その後すぐ作家となってからの活躍ぶりには、取材した編集者も驚いたことと思う。

「GALsLIFE」の中の広告。モデルは当時、大人気だったくればやし美子ちゃん。
70年代後期は、キッチュなディスコ系ファッションも大人気だった。

「B’52」もハズせない、この当時の音楽的&ファッション的アイコン

今も持ってるフィオルッチのステッカー。
イタリアのポップでキッチュなブランド、「フィオルッチ」のテイストは、それまでに見たことのない世界観で、世界中の若者の間で大ブレイクした。

筆者 プロフィール

中村 のん(スタイリスト)

日本のスタイリストの第1号、ヤッコさんこと高橋靖子のアシスタントを経て22歳でフリーに。以後、CM、広告、雑誌、ステージ衣装、PV、CDジャケット、写真集等、多岐に渡る分野で40年近く活動。2014年と2015年に主催した写真展&トークイベント『70’s 原風景 原宿』、中村のんプレゼンツとしてディレクションした写真集『70’HARAJUKU』(小学館)はTV、ファッション雑誌等、多くのメディアに取り上げられ話題に。
著書に『勇気をだして着てごらん』(文春文庫PLUS)、『私が娘に着せた服』(河出書房新社)、『ホントの私に似合う服』(アスコム)、『社長、その服装では説得力ゼロです』(新潮新書)。本サイトの運営もしている。

ブログ「服と明日のおしゃれなカンケイ」

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