vol.36 『表参道と、Café de Ropé、そして地下の店』山田英幸

photo:染吾郎

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にとっての「70’s 原宿」は、夏のイメージ。
日差しのあふれる真夏の表参道。行き交う人も肌を出した夏の装いだ。
まるで露光オーバーのピンボケ写真のように、それは白くにじんで、限りなく明るい。

1978年、19歳の夏。そのころ僕は京都の大学に通っていたが、この夏休みも大叔母の家をねぐらにして僕は毎日遊びまわっていた。
僕は名古屋の生まれだが、子供のころから休みのたびに東京へ遊びに来ていた。市川に和裁と洋裁の学校を経営する大叔母がいて、子供がいなかった大叔母と僕はとりわけ仲が良く、大叔母の家は何日いても居心地がよかった。

宿には行きたいところがたくさんあった。おもにファッションや雑貨の店である。その時は「SAISON de non・no」の原宿特集を携えて来ていた。(読んでいた雑誌は、そのころからネエチャンである。)

携帯もスマホもない時代、雑誌の記事や地図はおのぼりさんにとってはなくてはならないガイドだったが、おおっぴらに街中でページを開くのも恥ずかしく、それは肩から掛けた赤いビニールのメッセンジャーバッグの中にしまわれていた。

その日の僕の格好は、買ったばかりの「MILK BOY」のヘンリーネックのTシャツに、「SCENE」のブッシュショーツ。足元はそのころやけに流行ったビニールの白いサンダルシューズ、「GQ」に載っていたサファリルックをマネして、なんとハイソックスを合わせてみた。

髪型は自分では原田真二か郷ひろみを意識していたのに、人からは「中村紘子」といわれていたカーリー。ウエリントン型のサングラスをかけて、「4℃」のシルバーのネックレスをした。

そんな、自分としては精一杯の「原宿ファッション」で決めて、表参道を国電原宿駅から青山まで歩くのである。嶋田洋書あたりまで足を延ばして、そして、また原宿駅に帰ってくる。
表参道の雑踏の中、木漏れ日を浴びながら歩くのはなかなか気持ちが良かった。最初は「見られている」ようで恥ずかしかったが、やがてそれは「見られている」という快感に変わって行く。もちろん、誰も僕のことなんか見ちゃいないのだが、表参道をオシャレして歩くということは、そんな「SHOW CASE」の中にいるような晴れがましさがあった。

「レオン」は当時から有名で、さすがにおのぼりさんには入りづらく、それより開放的に見えた「Café de Ropé」にはよく行った。夏はオープンエアになる明るいカフェの籐のイスに気取ってすわり、そのころコーヒーはまだ飲めなかったので、いつもアイスティーを飲んでいた。

なぜかいつも原宿には一人で行っていた。歩いていても友達や顔見知りに会う訳でもなく「都会の孤独」的なものを感じるのだが、そんな「華やかな孤独感」が好きだった。何かがはじまるような、不思議な期待感があった。
東京でも原宿でだけそんな気分になれるのだった。

ラー通りにもよく行く店があった。店の名前が思い出せないのだが、その店は地下にあり、階段を下りていくとそのころはやりのトロピカル・デコというか、植民地風のインテリアで、天井には扇風機がゆっくり回っていた。木の床が音を立て、古いジャズボーカルがかかっていた。
昼でも薄暗いその店で、僕はマティーニを頼んだ。思い切って背伸びをして場馴れしているように見せたかったのだと思う。サムタイムライトを吸いながら、僕は何を考えていたのだろうか?
やがては東京に住むことになるだろうという予感・・・。そんなことをぼんやり考えていたのかもしれない。原宿は、地方在住の自分が思う最も東京らしい場所。僕が欲しい東京がある場所。僕にとって「大人の」場所だった。
つい先月経験したばかりの「あたらしいこと」を思い出していたのかもしれない。名実ともに大人になりつつある自分を持て余しているようなところもあった。

「人生」という扉の前に立ち、でもまだノブに手をかけて扉を開く勇気がない、もう少しだけこちら側にいたい、そんな中途半端な気持ち。

いずれにせよ、人生がはじまる直前の漠然とした不安と期待を感じながら、19歳の僕は原宿にいた。
マティーニはとっくにぬるく、苦かった。

りに、「GORO’S」をのぞいてみたが、あからさまにファッションの傾向が違う僕は店員から相手にされず、しかたなく近くにあった「LIMONE」で小さな金色のフォトスタンドを買った。内藤ルネの「薔薇の小部屋」に出ていたようなアンティーク風のものだった。好みはそのころからネエチャンである。


1979~80年当時の自分。「DOMON」のジョッパーズに「BROOKS」のスニーカー。場所は原宿ではなく銀座です。

「中村紘子」の髪型。Tシャツは「メンズメルローズ」。プカシェルしてます。

明治通りの「DEP’T」の前で。これは80年代になってから。

キラー通りの地下の店でのイメージ。このお店知ってる方がいらしたら教えてください。

当時の原宿近辺の店のマッチ。自分のコレクションより。

筆者 プロフィール

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山田英幸(クリエイティブディレクター)

1958年名古屋市生まれ。
大学卒業後1981年より東京在住。
広告代理店クリエイティブディレクター。
趣味は骨董・アンティーク・ヴィンテージテキスタイルなど古くて美しいものを集めること。それと手芸(仕覆制作など)。

 

最近ではコレクションの骨董にコレクションの古裂で仕覆を作り、「ポケットにぐい呑を」展として発表。
54歳になってからクラシックバレエはじめました!!!

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