vol.42 『レオンとクールス』大久保 喜市

原宿に渦巻く力とそこにあったレオン

「おまちどうさま」。——奥にあるキッチンからウエイターが千切りキャベツの上にたんまりと乗ったポーク・ジンジャーと、小皿に盛られたライスを運んでくる。「腹減ったー」とオレは箸を持ち、大根おろしが入ったポン酢につけて食べる。うまい! 肉汁とタレが染みたキャベツもたまらない。サラ名物、サラ・ジンジャーだ。

 赤坂にあるディスコ、ビブロスで踊り疲れた明け方、深夜の青山通りを車で飛ばして青山三丁目を左に曲がると、24時間営業のダイナー、O&Oが現れる。その先でUターンして反対側の路肩に車を止める。エンジンを切って車を降り、セントラル青山の一階にあるレストラン、サラに行く。階段を少し降りて低くなったエントランスにある木のドアを開けると、カランカランと鈴が鳴って客の到来を告げる。ウッドフロアの小さな空間に木製のテーブルが六席ほど並んでいて、正面にある暖炉の両端には二人掛けの小さな席が奥まって設置されている。すすで汚れて茶色になった壁にはアンティーク風な皿がズラリと飾られ、オレンジに灯るやわらかな照明が店内を照らし、シャイ・ライツの『オー・ガール』が静かに流れている。店はすいている。だがこれは嵐の前の静けさで、もうすぐビブロスが終わってやって来る客で満員になる。

 改造マフラーをつけたスカイラインGTRがけたたましい排気音をとどろかせて店の前に止まった。腰の後ろがV字になったグラスのベルボトムジーンズを履いた長髪の男が車から降り、モデル風な女の肩を抱いて店に入ってくる。続いてまっ赤なフェラーリが甲高いエンジン音を唸らせて止まる。黄色いレイバンのサングラスを掛け、Tレックス風なサテンのジャケットを着た男が白人の女を連れて店に入ってくる。フェアレディー240Z、ベレットGTR、117クーペ・・・・・・と続く。そうしてビブロスから流れてきた客が次々とサラにやってきて、あっと言う間に満員になる。それでもカランカランとドアの鈴はひっきりなしに鳴って人は途切れない。サラに入れない客は仲間のテーブルに無理やり座るか、向かいにあるO&Oへ流れて行く。ビブロスに集まる人達にはどちらも定番の店だ。

 サラ・ジンジャーを食べ、コーヒーを飲み終えて店を出る頃には夜はうっすらと明けている。早朝の歩道を歩くサラリーマンを横目に見ながらオレはブルーバード510のドアを開け、朝日に照らされた青山通りを飛ばして中目黒の家に帰って眠る。目が覚めるともう夕方で、シャワーを浴びて原宿に行く。レオンでコーヒーを飲みながらガラス張りの店内から暮れる表参道を眺めていると、雑踏の中から遊び仲間がポツポツと現れ、新たな一日が動き出す。

は1970年代。激動の60年代は過ぎ去り、大学紛争は下火になって全共闘運動もヒッピーのフラワームーヴメントも、結局のところ新たな時代を築けずに社会に吸収されて挫折していた。日大芸術学部の学生だったオレは、キャンパスに流れる適当に世の中と帳尻を合わせようとする学生が醸し出すふぬけた空気にリアリティーを感じられず、大学には行かずに毎日レオンに入り浸っていた。原宿には何かがあった。原宿に集まる人々が生み出す空気なのか、地理的な磁場なのかは分からないが、生きようとする人の生々しいエネルギーが渦巻いていた。とりわけレオンは特別で、時代の先端をいくクリエーターをはじめ、ファッション・ピープル、店員、プー、ヒモ、ミュージシャン、モデル、遊び人、女子高生、ヤクザ、プッシャー ・・・・・・と、職種に関係なく尖った感性の人達が集まり、誰もが洗練された独自のスタイルを持っていて、強いグルーヴを生み出していた。その独特な空気に怖じ気づいて、ドアを開けるも店に入れずに帰ってしまう一見の客がいたが、それはレオンのパワーで、人生に妥協せずに生きようとする人達の力がみなぎっているのだ。何も仕事に対してだけではない。遊びや快楽にしてもだ。

オンでぼんやりと夕方を過ごし、夜になると六本木のパブ・カーディナルに行って酒を飲む。深夜は赤坂のビブロスで踊り、出会った女達とぶっ飛んでセックスをする。生きている証として与えられた肉体の感触にあるべきエクスタシーを探し求め、ドライヴを掛けた毎日にはリアルな実感があった。そうした日々の中にクールスはいて、レオンやパブ・カーディナル、ビブロスでメンバーと顔を合わせているうちに親しくなっていった。

 レオンの前にはクールスの黒いバイクがいつも止まっていた。ひときわ目立つ黒いハーレーFX、ドカッティ、ヨシムラの集合マフラーをつけて改造したカワサキZⅡが歩道に並んでいた。レオンの店内からはガラス越しに革ジャンを着たクールスのメンバーがバイクにまたがる姿がいつも見られた。その光景は50年代のアメリカ映画、『ザ・ワイルド・ワン』に出てくるマーロン・ブランド率いる暴走族みたいで映画的だった。

 野音で行われたキャロルの解散コンサートが終わって間もない頃、バンドを始めたクールスがレオンに集まってリハーサルまでの時間をつぶしていた。たまたまそこにいたオレは隣に座っていたジェームスに誘われ、一緒にスタジオに行ってベースを弾いた。それがきっかけでクールスに入り、数日後にはベースを持ってバイクに乗っていた。あの時あの場所になぜいたのかは説明のしようがない。そういうことがハプニングしていたのが原宿で、そこにレオンという空間があった。レオンに集まる人のエネルギーがさまざまなものと融合してグルーヴを生み出し、時代の感性を創り上げていたのは確かだ。神宮の森から流れる気が表参道を伝わって、谷になった明治通り交差点あたりに溜まるのか? レオンがあったのはそこだ。

宿で何かを探し求めていたらクールスと出会い、ロックンロールに未来を見つけた。だが、時は残酷で、見つけたと思っていたものは砂漠で見る蜃気楼のように消えてなくなり、市場経済の中で踊らされて搾取され、気がつくと自分を見失い、闇に閉ざされていた。微かな光をたぐり寄せるようにオレはクールスを辞め、ニューヨークへ旅立つのだが・・・・・・。

こんな話、または続きにご興味がある方は、ぜひ『ストレンジ・ブルー プラス』を読んでね!

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[発売日 2017/04/21](仮書影)

COOLS

横浜赤レンガ倉庫 右端が筆者 1975

横浜赤レンガ倉庫 左端が筆者 1975

キングレコード スタジオ 筆者と舘ひろし 1975

並木橋サイコスタジオ 大久保喜市 / 舘ひろし / ジェームス藤木 1975

筆者 プロフィール


Photographed by Yukihiko Honda (DJR)

大久保 喜市 オオクボ キイチ
(映像ディレクター / ミュージシャン)

東京生まれ。
日本大学芸術学部演劇学科戯曲科中退。
1975年、R&Rバンド、クールスのベーシストとしてでデビュー。1981年、クールス脱退後渡米。NY移住。1982年、LA移住。TV番組の制作にたずさわり、ディレクターとして映像制作を始める。
ロックフェラー・アート・フェスティバル1985 ポップ・アート部門特別賞受賞。
1990年、クールス再結成企画制作。Original Cools ’90のアルバム2枚をプロデュース。1991年、帰国。フリーランス映像ディレクターとしてMTVなどの映像制作を手がける。
著書に『ストレンジ・ブルー』(2002年、河出書房新社)
『ストレンジ・ブルー プラス』(2017年、DU BOOKS)
小説『まばゆい光の向こうにあるもの』(2016年、『ウッチンケア7号』寄稿)など。

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