vol.2 『メロディハウス』藤田 峰人

melody-house-minehito-fujita-2

人的にはカウンターカルチャーとかサブカルといった言葉が好きではない。
そんな言葉で語ることにどこか違和感があるのが原宿で、僕の知る限りとても品が良くて素敵な街。1975年頃の僕にとってそこに出かけることは、つま先立って背伸びしながら歩くこと、そうやって生きることそのものだった。 
 
ロディハウスは竹下通りにあったレコード屋さん。
輸入盤専門店として知られていた。
 そう、中学生ぐらいだったか「奥様は18歳」というTBS系のテレビドラマシリーズがあった。岡崎友紀さん主演18歳の新妻コメディで、ご主人役はたしか石立鉄男さんで始まったそのシリーズ。そこに時々原宿メロディハウスが映っていたように記憶している。
 テレビドラマのような原宿はきらきらしていて、とってもおしゃれで、千葉の田舎者高校生にはすべてが地に足の着かないものごと。当時の僕には明らかに不似合いな場所だった。でもとにかく、そのレコード屋さんにゆくと千葉の町では買えないレコードがあった。
 確か竹下通りの真ん中より少し原宿駅に近いあたりだった(と思う)。
 近所に普通のとんかつやさんがあったり、そんなにごちゃごちゃしていなかった。今の竹下通り界隈よりずっとのどかで、まだ住んでる人の匂いもした。
 路地奥に少し入ってゆくかんじの店舗、だった気がする。瀟洒なつくり、そのお店の入り口にはいつもターンテーブルが出されていて新譜をかけている。嘘みたいだけれど、そういうことをしても、ご近所はそんなに文句を言わない時代だったのかもしれない。
 その当時の日本ではリリースの遅い洋楽レコードがかなりあった。ここにはそれが早く並ぶ。だからすぐに売れちゃう。次の入荷を尋ねる。まだ情報をみんなで大切に交換し合っていた頃。黒人音楽が好きになり始めていた僕は時々お店にやってきては入荷チェックして時間を潰した。もちろんロックの新譜はことさら早く聴けた。外盤が先行、そのあとに国内盤リリースだから、メロディハウスに行けばとにかく一早く新しいロックが聴けた。
 
校3年生のある日。僕は千葉の田舎から勇んで総武線に乗り、原宿駅竹下口で降りてメロディハウスの前に立った。
すぐ店内に入ろうとしたところ、店頭でかかっているとあるレコードが僕を立ち止まらせた。初めて聴くリズムと音感、瞬時に何かが共鳴した。
 結局店には入らず、そのレコードを最後まで聴いた。日向に飾ってあるレコードは白い二枚組で、二枚目も聴きたいと思った。ところがお店から出てきた店員さんはまたその一枚目をA面からかけ直そうとした。
 「・・あのっ、このレコードください!」
 その時思わず僕の口をついて出た言葉はそれ。アーティストの名前すら知らなかった。
 店員さんは高校生の顔をきょとんと見た。
 「ああ。これの二枚目に実はすごい傷があるんですよ」
 「そんなの構いませんから!・・あの、それ買いたいんですけど!」
 高校生は、とにかくその日財布にあるありったけの金で足りるのなら、何としてもこのレコードを買って帰りたくなっていた。もしそれで帰りの電車賃がなくなったなら、途中知り合いの同級生の家に泊めてもらうことまで一瞬にして考えた。
 するとその店員さんは、なんとも申し訳なさそうに呟いた。
 「売ってあげたいんだけど、いや・・・売れないですこれ、すいません」
 「え・・どうして?傷があるから?」
 店員さんはたぶん店長だった。
 「実はうちにもワンセットしか置いてないんですよ」
 「・・・」
 「かけると欲しいって方が多くて、なんていうか、売れなくなっちゃってるんですよ」
 
 アース・ウィンド&ファイア初のライブアルバム「GRATITUDE」の国内盤が発売されたのはそれから一年近くもたってからだった。
 仕方なくあきらめた僕は店頭でもう一度その傷のない一枚目の全てを聴いて家に帰った。そうしてその日からしばらく、僕の頭の中では、あのファンクなギター・カッティングが鳴り止むことはなかった。
 
乏な高校生はそれからおもむろに、生ゴミやら魚のワタまみれの集中アルバイトを開始する。千葉駅ビル地下にあった生鮮食品売り場。大晦日までやった。高校生にはつらい仕事で、年が明けて手にした給料はどういうわけか約束にないピンハネもされていた。
 でも僕はとりあえず急場で得た金を握り締めて原宿に向かった。もう本当にブルースそのもので、その金のすべてをメロディハウスにつぎこんだ。Nothing but the Blues !
1月の冬の日のこと。でも残念なことに、まだ次のGRATITUDEは入荷していなかった。
 
ロディハウスがいつ閉じたのかは知らない。
その時、代わりに買ったのはジョン・メイオール&エリック・クラプトン、トラフィックのライブ、コルトレーンなどの外盤。もうこの、外盤という言葉自体がないんだろう。魚まみれの手で手にした外盤たち。えっ?振り返れば40年経ってるの?僕は石になる。 
 ただ、こういった記憶が昨日のことのように鮮明に蘇るのは、原宿という街が当時僕に与えた計り知れない力のせいなのだと思っている。そして、そんなふうにしてまでレコードを手に入れようとした自分がいたことを、馬鹿馬鹿しい奇跡として今なおいとおしく抱きかかえている。その時買ったレコードのように。
 原宿らしい18歳のロマンスなんてその後一切出遭うこともなく、僕の前からメロディハウスは消えた。
 面映い恋愛のような街を、僕はつま先立って背伸びをして、一生懸命歩いていたのにな。


1974年1月版ローリングストーン誌日本版にヤッコさんのステージ美術品募集広告が載っています。
ジョーとはジョー山中さんかと思います。ちなみにおとなりは山口小夜子さんの写真です。

クラプトンのマイナーオムニバスLPはメロディハウスで買ったものです。

筆者 プロフィール

minehito-fujita

藤田 峰人(映像ディレクター)

1994年 株式会社東北新社CM本部企画演出部退社後、フリーランス。CMを中心とする映像ディレクターとして現在に至る。賞歴:ACC賞、IBAファイナリストその他。

レンタルアートスペース・ギャラリーがらん西荻主宰

日常ブログ「西荻路地裏日記」

comment

このページの先頭へ